最近、某・有名コーヒー店に行くと、ストローが紙で出されてきた。
今までは、プラスチック製だったのだが、昨今の資源問題やコスト節約のためだろう、違和感を覚えつつ使用した。
ところが、いつものアイスカフェオレの味がしないのだ。完全に、その紙ストローの味がコーヒーに沁み込んでいるような味しかしないのだ。
まるで、紙を食べているような、おかしな感覚にも、さいなまれた。自分が、いままで慣れ親しんだカフェオレは、どこかに行ってしまったと嘆いた。
反対に、別のコーヒー店では、煌びやかな高そうなグラスで、ストローなしで出されることもある。
こちらは、グラスを傾けて飲むと、断然と美味しく感じる。
これらの気づきを、介護職業務に当てはめてみると、どうなるのか。
無気質な、紙のような乏しい気持ちのサービスになっていないか。
それとも、上等の広い大きな心の器で利用者に接しられているのか。
同じカフェオレでも、媒体手段となる物体によって、活性化できるし、無力化することもできる。
「味」とは、感覚である。対人ケアサービスも、する側も受ける側も、感覚を重視する部分がある。
介護する側が悪い媒体手段となってしまうと、サービスそのものの存在価値が無くなってしまう。
漫然と、業務に従事していては、気づかないこともある。
介護は奥が深い。まだまだ掘れば掘るほど、終わりのない未知の領域が広がっている。
だからこそ、介護する側の、感性の磨き方も、重要になってくる。
カフェオレのグラスを磨くように、感性や人間性を磨いていければ、と考える。